インフォメーション


1.東松山市消防本部の主な沿革
年 別
記  事
昭和40年
4月
東松山市消防本部及び署が設立され、消防長に市長中里勇吉氏が就任し、消防職員14名、消防ポンプ自動車1台をもって、発足した。
昭和43年
3月
救急車(A型)を購入、救急業務を開始しました。また、消防力の強化を図るため化学消防ポンプ自動車を購入配備した。
昭和47年
10月
東松山市、吉見村、滑川村は、消防事務を共同処理することに合意し、規約(議決)により、名称を東松山地区消防組合と定め、消防一部事務組合を設立し、組合管理者に東松山市長中里勇吉氏が就任した。


2.東松山地区消防組合の主な沿革
年 別
記  事
昭和48年
4月
東松山地区消防組合消防本部及び東松山消防署を設置し消防長に岡田義三氏が任命され職員総数55名をもって業務を開始した。
高坂出張所完成(鉄筋コンクリート造2階建一部3階、延べ面積297.75m2)職員12名、水槽付消防ポンプ自動車1台、予備車1台をそれぞれ配備、業務を開始した。
昭和49年
7月
吉見出張所完成(鉄筋コンクリート造2階建、延べ面積350.68m2)職員16名、水槽付消防ポンプ自動車1台、予備車1台をそれぞれ配備、業務を開始した。
8月
組合管理者に、東松山市長氏が就任した。
11月
吉見出張所に救急車1台配備した。
昭和50年
1月
滑川出張所完成(鉄筋コンクリート造2階建、延べ面積373.00m2)職員17名、水槽付消防ポンプ自動車1台、救急車1台をそれぞれ配備、業務を開始した。
8月
関越高速自動車道供用開始に伴い、滑川出張所救急業務を開始した。
昭和55年
10月
東松山地区消防組合消防本部及び東松山消防署新庁舎完成(鉄筋コンクリート2階建、延べ面積1,554.10m2)業務を開始。同時に北分遣所の業務を開始した。
昭和61年
1月
組織等の改正により「吉見出張所」「滑川出張所」を「吉見分署」「滑川分署」に改めた。
平成元年
4月
松山北分署完成(鉄筋コンクリート造2階建、延べ面積509.04m2)職員10名、水槽付消防ポンプ自動車1台、救急車1台をそれぞれ配備、業務を開始した。
平成4年
3月
高坂分署完成(鉄筋コンクリート造2階建、延べ面積604.71m2)職員10名水槽付消防ポンプ自動車1台、救急車1台をそれぞれ配備、業務を開始した。


3.小川地区消防組合の主な沿革
年 別
記  事
昭和46年
4月
(組合設立)
小川町、嵐山町、玉川村、都幾川村及び東秩父村の2町3村は消防事務について共同処理することに合意し、組合規約により、名称を小川地区消防組合と定め消防の一部事務組合を設立した。組合管理者に小川町長田口勘造氏が就任した。
(業務開始)
小川地区消防組合消防本部及び小川消防署を設置し派遣職員2名、採用職員27名、消防ポンプ自動車1台、消防指令車1台をもって業務を開始した。
8月
小川消防署に水槽付消防ポンプ自動車1台配備した。
昭和47年
4月
小川地区消防組合消防本部及び小川消防署新庁舎完成(鉄筋コンクリート造2階建、延べ面積741.90m2)職員58名、救急車1台を購入配備した。
第1分署完成(鉄筋コンクリート2階建、延べ面積296.00m2)職員13名水槽付消防ポンプ自動車1台、救急車1台をそれぞれ配備、業務を開始した。
昭和48年
4月
第2分署完成(鉄筋コンクリート造2階建、延べ面積301.80m2)職員13名、水槽付消防ポンプ自動車1台、救急車1台をそれぞれ配備、業務を開始した。
昭和49年
5月
第3分署完成(鉄筋コンクリート造2階建、延べ面積247.34m2)職員10名、水槽付消防ポンプ自動車1台、救急車1台をそれぞれ配備、業務を開始した。
昭和57年
6月
組合管理者に小川町長松本繁夫氏が就任した。


4.比企広域消防本部が設立されるまでの沿革
年 別
記  事
平成2年
2月
比企広域消防の設立を推進するため、専門委員会を設置した。
平成3年
3月
東松山地区消防組合消防本部内に比企広域消防準備室を設置し職員5名(東松山地区3名、小川地区2名)配置した。
12月
構成市町村議会において、統合関係議案が議決された。
平成4年
2月
比企広域市町村圏組合会議において消防関係条例等の議決がなされ統合事務が終了した。



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